ストーリー・テリング ① フジ子・へミング

 title 夜想曲 ノクターン

フジ子さんのピアノは、ただただ心に響く。そして、その半生と芸術と生活は多くの人に感動と勇気と自由の心を与える。NHKで放送されるや大反響をよんだ、希有な音楽家フジ子・へミングを訪ねて。

インタビュー

窓からは柔らかなランプの明かりがもれている。クリスマスツリーに昔かならず飾られていたような太陽と月の形をした玩具のライトがチカチカと光っている。私が、その重い扉を押し開けると、2匹の猫が走り去り、柱の奥から私をのぞいた。部屋の奥から出てきたフジ子さんは、笑顔で私をむかえ、2階のリビングに案内してくれた。2台の古く美しいグランドピアノが置かれたその部屋は、天井が高くガランと広い。以前は演劇の稽古場であったと言う。部屋の中央には小さなテーブル、その上には細かな模様がカットされたワイングラス、白い粉砂糖がかかった甘いお菓子、花瓶に浮かんだ小さな花束。形も大きさもまったく異なる4つの椅子がそのまわりを囲んでいる。私が椅子を誉めるとフジ子さんは、言った。
「それは、ドイツで捨てられているのを拾ってきたものなの。私が持っている家具は、母のものであったり、音楽学校で処分されたものを拾ってきたものばかり。でもね、すごくいいでしょう。すごく気に入っている。思い出もあるし、古いものに囲まれていると心が落ち着く。3年前、ドイツから日本に来る時はね、どうやって生活していくかなんて全然想像もつかなかったから、全部1つ残らずもって帰ってきた。これだけあれば、なんとかなるだろうって」
 
 フジ子さんの少女のように無邪気で魔術師のように物憂げな雰囲気。部屋も、洋服も、そしてピアノの音色もフジ子さんにしかない、フジ子さんらしさが滲みでている。
「私はね、なんでも見るのが好きなの。散歩が大好きだから、人でもなんでもあらゆるものを見てね、なんでも参考にする。ファッションでも、お金がなかったから買うことは出来なくてもね、雑誌を見て気に入ったところをちょんぎってスクラップブックを作って、自分の持っている服をアレンジしたり、ちょっとした刺繍を刺したり、そんなことがすごく楽しい。でも、日本人は、人と違う服装をしていると、滑稽だとか、もっときちんとした服を着ろだとか言うでしょ。でも、そんなの面白くないわよね。私はね、いくらお金を沢山もらえるようになったとしても、これからも絶対にダイアモンドを買ったり、そんなことはしないでさ、今までのように謙虚にして、やっぱり自分の直した洋服を作って、それが一番似合うと思うから」

 私は、ピアノも弾けない。音楽のこともなにも知らない。クラッシックのコンサートを見ていても、どこに良さがあってどこがすごいのか解らない。でも、フジ子さんのピアノはただただ心に響いた。懐かしい気持が溢れてきて、涙が出そうになった。音楽の魅力ってこういうものなのだなと感じた。
「私はね、すごく音楽が好きでしょ。それで、ジャズでも演歌でもなんでも好きなの。素敵な曲だったら、好きなのね。それで、たとえば道を歩いているときに乞食がギターかなんかを弾いていても、いいなーって思う。未熟で、下手くそかもしれない、でも、そんなことはどうだっていいのよね。私にとっては。ぶらぶらと散歩をしている時とかに音楽が聞こえてきたら、楽しいじゃない。でもね、今の音楽の世界ではテクニックばかりが評価される。審査員も音楽のことを物差しのようなもので計っているような人ばかり。心で音楽が聞ける人が少ない。音が、ひとつ間違えたからって、落とされてしまったり、そうやって、いい人がみんな見捨てられてしまう。でもね、私は若い時、20代のころにもテレビに出て今と同じような曲も弾いていたの。だけど、ファンレターの一通すら貰ったことがない。若い時っていうのは、ピアノを弾いていてもあんまり解らなかった。音楽もそうだし、女だってそう。若い時は、どうしたら自分が素晴らしく見えるかなんて解らないじゃない。それと同じね。どんな人間でも、経験が必要だし、色々なことをして、色々な話しを聞いて、その中で色々な形のかけらを集めてさ、それを自分なりに継ぎ足していったものが、その人にとっての確かなことなのよね。たまたま夜、テレビを見ていた人がアレって、私のピアノに耳を傾けてくれて、一晩中眠れなかったって言ってくれる人もいる。狐につままれたような気分だけど。でもね、人生ってそんなもんかなって思ってる」

 フジ子さんは、苦しい時にはずいぶん本を読んだと言う。「ゴッホの手紙」だとか、伝記にも勇気付けられたと。
「耳もあまり良くないじゃない。だから、喋るのはあんまり得意じゃなかった。だけど、本ならなんでも読めるでしょ。だから、いろいろな本を読んだ。ゴッホは、精神病だったっていう人もいるけど、私は彼の気持ちがすごくよく解るの。私も昔から変わっているって、言われていた。そのままだと気狂いになるって言われたこともある。でもね、だからこそ、私はそういうゴッホみたいな変わった人間のことが、すごくよく解るの。ただ座っていることが出来ないような人間だっているじゃない。だけど、私は、そういう人間がすごく好きになっちゃうの。心が通じちゃうのよね。すごく神経質で、繊細な人だなって。ぶっこわれそうじゃない。でも、それってすごく人間らしいことなんだと思う」
 
 フジ子さんの部屋は、たくさんの想い出で飾られている。家族の写真、父の描いた日本の風刺、画家を目指していた叔母の描いたモダンな日本画、母が残した楽譜、グランドピアノ。
「ベルリンのことは、よっく思い出す。いつもずっと不幸せだった。苦しくて、苦しくて、もう嫌で嫌で仕方がない時、ピアノも弾けないような時期もあった。でもね、どんな人間だって、時おり素晴らしい快楽があるじゃない。本当に心からどきどきするような恋をしたり。そういう時のことを思い出して、哀しいことは、忘れていく。夜、独りでピアノを弾きながらね、昔のことを想い出す。ずっと長いことそうしてきたし、そんな時間がすごく好きなの」

 私はワインをたくさん飲んで夢の中にいるような心地だった。フジ子さんもほろ酔いでピアノを弾いてくれた。猫が何匹か床に寝そべって毛を舐めあっていた。私もその横に寝そべり、目を瞑り、ベルリンの寒い夜だとか、バーンスタインの青い太陽のような瞳、お菓子をぱくつきながら歩いた散歩道、フジ子さんの過去を想った。
「誰か詩人が、目を覆わなくては生きられないような世界だって、言っていたけど、本当にそう思う。猫が捨ててあっても、私はあの猫は、どうしたんだろうって、心を痛めて、2,3日悲しくなる。それで、餌を買うお金も無いのに自分の家に連れて帰ってきてしまったり。でも、そんなことを無視して生きていられる人間の方が幸せだったりするわよね。私みたいに敏感で、不器用だと、字引に挟まれてペチャンコになった小さな虫の死でさえも、悲しくなってしまう。この虫は、何処から来て、なにを食べて生きてきたんだろうなんてね。どこかで子供が5匹くらい待っているんじゃないかしらって。だから、ただそういうことだけでも、もう二度とこの世の中に戻って来たくないって思う。もう一度そういうたくさんの悲しいことを見て暮らしたくはないもの。それに天国に行けば、私が可愛がっていた猫達。私が愛した人たち。ショパンやリストにだって会えるかもしれない。私は、密かにそれを楽しみにしている。でも、天国に行っても恋はするのかな?」

 最後に、フジ子さんは、ガーシュインのサマータイムを弾いてくれた。とても、哀しい音色だった。

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by holly-short | 2006-07-29 09:54 | interview
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