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上質な遺伝子 31

 博士の研究室は地下にあった。男は鉄製の扉の鍵をあけて地下へ
と繋がる階段を降りていった。ひんやりと薄暗くなんの装飾もない
コンクリートの打ちっぱなしの階段。コツコツと私たちの歩く足音が
やけに響く。さすがに男も私たちの不安を汲み取るかのように、
「心配はいらないよ。博士の部屋へ行くだけだから。」と説明をする。
「一応、博士に君たちが侵入したことを報告しなくてはいけないから
ね、」と付け加える。再び新たな扉が目の前に現れる。鮮やかな青いペンキ
でつるつるに塗られている。男は再びズボンから鍵を取り出し、扉を
開ける。
「ここが博士の部屋だよ。」
地下に広がる広い空間は、まるで小さな図書館のように壁全面に
本棚が据え付けられ、そこにはびっしりと本が並んでいる。中央に
ガランと広がる大きな空間には赤いソファがいくつか浮かぶように
置かれている。まるで、「2001年宇宙の旅」に出てくる宇宙船の中み
たいに近未来的で、洗練されている。大きく立派な木がいくつか
鉢植えにされ、無秩序に置かれている。バオバブの木のように
不思議な形をしているものや、こんもりとした小さな山のような形状を
したサボテン、植物の作り出す不可思議なシルエットが不思議と
この無機質な空間にマッチしている。男は、私たちに中央のソファに
座るように促し、奥の部屋へと消えていった。部屋はまだ奥へと
つながっていて、ここ全体は生活スペースとなっているようだ。シンプル
で無駄がなく、とても心地の良い空間。ずいぶん地下にあるのにも
かかわらず空気がとても澄んでいる。部屋の奥からはコーヒーの
香りが漂ってくる。どうやら男がコーヒーを煎れてくれているようだ。
「ねえ、私たちいこんな所に来てしまって大丈夫なの?」
「うん、大丈夫だとは思うけど、不思議な展開だね」
「そんな悠長なこと言ってるけど、彼は銃を持っているのよ。銃は
犯罪なのよ」
「いくらなんでも、本物じゃないだろ。それに彼に殺意は感じないよ。
僕らが勝手に入り込んでしまったんだ。少ししたら、もうここを出よう。
ここもなかなか楽しいじゃないか。それに、夜は温泉だよ。ポカポカ
のんびりしようよ」と、彼は子供みたいに笑う。
「うん」
私も笑って、彼の腿に手を乗せる。彼はしっかりと、私の手を握って
くれる。しかし、私の笑顔はすぐに神妙な表情へと引き戻されてしまう。
男はコーヒーをトレーに乗せて、私たちの座るソファにやってくる。揃い
のカップアンドソーサーには、きっちりと同じ位置までコーヒーが注が
れている。彼は丁寧に私たちの目の前にあるローテーブルに4つ
のコーヒーを置いてくれる。コーヒーからは、それぞれ湯気が細く立ち
のぼる。
「博士はお風呂に入っていたよ。博士が来るまでの時間、コーヒーでも
飲んでいてよ。僕のコーヒーはとびきり美味しいはずだよ。なにしろ豆
から育てているからね」と彼は言い、コーヒーの香りをスーと一息に嗅いだ。
「本当に美味しい」
一口飲んで私がコーヒーを誉めると、彼はまんざらでもないという表情
で私に向かってカップを高々と持ち上げてみせる。次の瞬間、私は
一瞬で全身のコントロールを失う。手に持っていたカップはまるで
身勝手に堅い床へとまっ逆さまに落ちていく。スローモーションのようにカップ
が割れ、中のコーヒーが辺り一面炸裂する。私自身も、ぐらん、と一度
大きく揺らいでその場に崩れ落ちる。なにも見えない。真っ暗だ。その
うちもう闇すら存在しない。なにもなくなる。

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by holly-short | 2006-09-26 00:48 | 上質な遺伝子
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