カテゴリ:メグ シリーズ( 13 )

墓地

あの頃、メグは精神科医として働きはじめたばかりだった。大きな大学病院で、研修医
として日日仕事に明け暮れていた。まるでベルトコンベアーの一部にでもなったみたい
に次々と病を抱えた患者たちが何処からともなくワラワラと現れ、メグの前を通り過ぎ
た。しかし、それぞれの抱える病は微妙に、大きく、まるで異なっていた。もちろんメ
グ自身も医師として個々の症状に耳を傾け、それぞれにあった診療と処方を模索しなけ
ればならなかった。それは時として、ゴールが或るのかも解からないような複雑怪奇な
迷路を彷徨い歩いている様でもあったし、枯れ果てた植物に水を与えている様でもあっ
た。精神の病はまるで掴み所がなく、原因についても今だ曖昧な場合が多い。病名の特
定が困難を極める場合など、薬の効能具合によって病名を特定することだって珍しくな
い。なにも知らないことについては、人はいかようにも想像できるの言葉通り、精神科
医の実情はメグが創造していたものとは大きく異なっているようにも思えた。医師とい
う仕事は基本的には人を助ける仕事である。よって医師になる人間は、人を助けたい、
苦しみから救ってあげたいという、ある種の正義感にも近い感情を抱きがちだ。メグに
しても、それは例外ではなく、それこそが医者としての醍醐味だと思っている節もあっ
た。しかし精神科医の場合、そのような正義感が満たされる状況は非常に少ない。何を
もって完治を意味するのかも、人によって様々だ。色々手をつくしても、目に見えるよ
うなドラスティックな改善はなかなか見られない。医療行為それ自体よりも、患者自身
の力に頼る部分も多く、事実上、病気を改善するためのお手伝いをする役回りだ。外科
的手術のように、鬱や精神的な苦しみ、非社会性を物理的にすっかり取り除くことは不
可能だ。具体的にどこをどう改善したら病気が完治するのかについても、不透明でケー
スバイケースだ。メグは一度、自分の進んだ道が誤っていたのではないか?精神科は自
分には向いていないのではないか?と深く思ったことがある。その日、メグの受け持っ
た患者が首を吊って自殺してしまった。患者は、25歳のまだ若い男性だった。鬱の傾
向が見受けられ、だいたい月に1、2回、不定期に通院していた。彼は、一見まるで普
通で、なんの問題もなさそうなハンサムな青年だった。背がすらっと高く、とても美し
い顔立ちをしていた。やや繊細そうではあったものの、むしろその繊細さが一層彼を魅
力的にしていた。その頃、彼の鬱症状は徐々に改善の方向へと向かっているように思え
た。鬱病は治りかけが一番危ないのだと、尤もらしく誰かが言っていたその言葉は、常
に頭にあったが、それが彼に適応するなどとは夢にも思わなかった。最後の時、メグは
普段通り診察し、今までと同じ抗鬱薬と睡眠薬を処方して、ささやかな日常会話を交わ
して、「またいつでも来てください。」と、笑顔で彼を見送った。彼はブルーがかった
グレーの瞳で小さく笑って「また、来ます。」と、落ち着いた様子で言った。紺色の
ダッフルコートに、グレーのマフラーを首に巻いて、診察室を出ていった。メグは、彼
の異変に全く気が付かなかった。そんなものは、まるで無かったかのように思えた。な
んの勘も働かなかった。最後に彼と会ったその日、彼はもうすでに自殺を心に決めてい
たのか、いなかったのか、それは計画的だったのか、衝動だったのか、メグには解から
ない。彼の死は、警察からの電話で伝えられた。検死の結果、自殺に間違いなく、彼は
自室で首を吊って死んだのだと、監察医の男は事務的にメグに伝えた。メグは、検察医
の質問、主に生前の彼の病状について簡単に応えた。まるで医師みたいに、理路整然
と、、、、、。メグは何日かしてから彼のお墓に足を運んだ。大きな山々に挟まれた緑
溢れる美しい墓地。彼の名前が彫られた墓石はまだとても新しく、周囲から浮いてい
た。新鮮な花々が山積みとなって手向けられたままだった。

あれから約20年、メグはその分年を重ね、精神科医としての経験も積んだ。もし、今
の私だったら彼の死を食い止めることが出来たのだろうか?メグはそれについて、考え
てみることがある。そして、多分無理かもしれないと思う。メグは久しぶりに彼のお墓
を訪ねてみる。たまたま近くに用事があったので、小さな花束を持って、昔の記憶を頼
りに墓地へと車を走らせた。歩き回ってようやく見つけた彼の墓は、長い時間をかけて
しっくりと周囲に馴染んでいた。美しく彫られた彼の名前は繊細な苔がたっぷりと生
し、周囲に植えられた植物もしっかりと根付いて蔓を伸ばしていた。多分、春になった
ら綺麗な花を咲かせるのだろう。メグは、目を瞑り彼を想った。25歳のまま、時の止
まってしまったブルーグレーの美しい瞳を。

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by holly-short | 2006-12-15 22:01 | メグ シリーズ

ポートレイト

 夕暮れ時、メグは診察室で独り考え込んでいる。患者Gの分厚いカルテ、何度となく繰り返さ
れる躁と鬱の個人史を丹念に眺める。年をとるにつれて少しずつ、それでも確実に鬱の期間
が長くなってきている。近頃では、一旦鬱のサイクルに入ると半年くらいは、鬱状態から浮上
出来ないようである。何度なく抗鬱薬の処方を変更するも、結果は芳しくない。自殺願望も強
く、気力体力ともに限界に達しているように見受けられる。メグは薄暗い部屋の中で、重厚な
デスクに肘をつき、柔らかい溜め息を吐き出す。「自殺」の2文字が頭から離れない。まして彼
女は芸術家なのだ。普通の人間とは感性の質がかなり異なるのかもしれないと。ふと気がつ
くと太陽はもうすでに西の空に沈み、微かな残照が薄暗い部屋の中に冷たく沈んでいる。メグ
は電気はつけず、分厚いカルテを閉じて、デスクの隅に置かれた真新しいキャンドルに火を灯
す。誕生日の日に、キャサリンがくれた硝子の容器に入ったアロマキャンドル。甘く、爽やかな
植物の香りがゆらゆらとキャンドルから溶けだしてゆく。蝋燭の明かりは、薄暗い診察室を柔ら
かくぼんやりと照らし出す。メグは、所狭しと書物が並ぶ本棚の上に立て掛けられたポートレイ
トに目を留める。細かい細工が施されたアンティークの額縁に入れられたシンプルな線だけで
描かれた女の顔。年連不詳のその女はメグ自身だ。メグが研修医を終えたばかりの頃、お
よそ15年以上も前に、患者Gがさらさらと描いてプレゼントしてくれた。患者G、Geneは有名な
画家で、メグはまだ研修を終えたばかりの新米の医者だった。メグは感激して、一度も足を
踏み入れたことのなかったアンティークショップで額縁を選んでもらったのだ。もう存在しない
そのアンティークショップは、驚く程に品数が少なかった。メグが小さなポートレイトを持ってゆ
くと、店主は店の奥から美しく燻った金色の額縁を探し出してくれた。メグは一目でその額縁
が気に入った。額縁の中に入ったその絵の存在が。小さな額縁の中で、女は真っ直ぐ前を向
き小さく微笑んでいる。自信と希望に満ちた真っ直ぐな視線で瞬きもせずにメグを見つめる。

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by holly-short | 2006-12-08 00:07 | メグ シリーズ

躁鬱

カルテ:患者G。年齢55歳女性。躁鬱病。画家。30台後半より躁鬱の傾向が見られる。家族
の希望もあり、投薬の為毎月、定期的に通院している。

某日、躁の場合。

 患者Gは、エネルギーに満ち溢れている。民族衣装のような派手な装いに、真っ赤な口紅が
いやおうなしに人目を引く。肉体に収まらんばかりのエネルギーが彼女を予想不可能に突き
動かしているかのように、、、、。予約もせずに、突如現れ、診察室にドカドカと入るなり、患者G
は満面の笑みを浮かべ、まるで懐かしい友人に久方ぶりに出くわしたかのように大きく目を見
開く。やや力強くメグの肩を叩き、両手を広げ、豊満な胸を惜しげもなく押し付けて「会いた
かったわメグ。」と、まるで母親みたいにメグを抱き締める。メグも「ええ、」と微笑んで運よく空
いている患者用の椅子を勧める。「調子はどう?」とお決まりの台詞を、まるで娘みたいな調子
で問いかける。患者Gの通院はメグが医者になるそれ以前から、約20年以上も続いている。
患者Gは両手を胸にあて、大げさにその両手を広げて見せる。まるで舞台女優のように情熱的
に、私を見て!と言わんばかりの勢いで、、、、。メグは思わず。心のスポットライトを患者Gに
向ける。
「もうすべてオーライト。すべて上手くいっている。ノープロブレム。パーフェクトよ。それよりも
メグ、私また久しぶりに個展を開こうと思うのよ。最近ね、もうすこぶる調子がいいの。イマジ
ネーションが湧いて湧いてしかたがないの。ようやく私も永い眠りから目覚めたって感じかし
ら。毎日精力的に作品を描いているわ。長い間お休みしていたから、その分を取り返さな
きゃって思ってる。ギャラリーを借りて、沢山の友人やアーティスト達にも来てもらうつもりよ。
ギャラリー内に小さなカフェスペースを作って、手作りのお菓子と美味しいお茶で歓談してもら
えたらなって、どう?素晴らしいアイディアだと思わない?パティシエをしている友人にも早速相
談しなくっちゃいけないわ。勿論メグにも来てもらうつもり、約束よ。あ!もうこんな時間。まだま
だ描きたい作品が一杯あるの。猫の手も借りたいとはこの事だわ。とにかく時間がないの。今
日はここまでにするわね。薬は必要ないわ。もう最高に調子がいいのよ。今までにないくらい
に、、、、多分もうこのまま薬のご厄介になることはないと思うわ。あなたに会えないのは寂しい
けど、でもあなたとはプライベートでもきっと仲良くやっていけるって確信してる。私、解かるの
よ。なんだかあなたって私の娘みたいに思えて仕方がないの。聡明で、ユーモアがあって、私
に似てるのよ。それにあなたの顔、とっても趣きがあっていいのよね。いつかあなたのヌードが
描きたいと思ってる。もちろん、あなたさえ良ければの話しだけど、考えておいて頂戴。とにか
く、もう今日は行くわね。やらなくちゃいけないことが、山程あるから、、、、」
患者Gは一息に喋って、診察室を去っていった。メグの、いくら調子が良くても出来るだけ薬は
続けて飲むように、という言葉もろくに聞かずに、、、女優は舞台を踊るように去って行った。

某日、鬱の場合。

「とにかく死にたくなってしまうの。寝ても覚めてもそのことが頭から離れなくて、苦しくて苦しく
て仕方がないのよ。私、どうしたらいいのかしら?このままだと私本当にいつか自分を自分で
殺してしまいかねないわ。私には、解かるのよ。ええ、いつかやるわ。家に独りでいる時、ふっ
とした瞬間に深い落とし穴にストンと落ちてしまうの。胸が苦しくて、とにかく辛くて、すべてが
ベールに包まれているみたいにスッキリしないの。薬を飲んでもまるで効かないわ。外出も、
人に会うのも、歩くのすら億劫で、身体が思うように動かないの。助けて頂戴メグ。」
患者Gは、くったりと身体に馴染んだスウェットの上下を着て、なんの手入れもされていない白
髪混じりの髪の毛を後ろで1つに束ねている。起きてそのままの素顔は、小さな皺が無数に刻
まれ年齢よりもずいぶん老け込んで見える。まるで精気が吸い尽くされてしまったかのように、
表情が失われてしまっている。
「ちゃんと薬は飲んでいるのよね。」
メグは確認するように患者Gに問いかけ、患者Gの幾分萎んだ身体に手をかける。
「ええ、飲んでるわ。でも、駄目なの。薬に慣れてきてしまったのかしら。飲んでも効くのはは
じめのうちだけ、そのうちどんどん鬱が押し寄せてくるの。私の身体を鬱が蝕んでいるのね。
きっとこのまま鬱にまみれて、鬱に飲み込まれてしまうんだわ。」
メグはギュッと握りしめられた色の悪い患者Gの拳に手を合わせる。
「薬を変えましょう。大丈夫。きっともっと合う薬が見つかるわ。ちゃんとここまで足を運んで、自
分の症状をきちんと訴えることが出来るんですもの。あなたは病気なのよ。そんな風に自分を
追い詰めたりする必要はないわ。抗鬱薬によっては、自殺願望を誘発させてしまう可能性があ
るのよ。もしかしたら、今の薬があまり合わないのかもしれないわ。」
患者Gは無表情のまま、口を歪め小さく頷いた。メグはカルテに症状と処方箋の指示をさらさ
らと書き留め、ささやかな溜息を何度でも吐き出す患者Gの肩にそっと手を置いた。「またいつ
でも来て頂戴、Gene。もし、あなたがいなくなってしまうような事があったら、私すごく悲しい
わ。もちろんそう思うのは私だけじゃないし、あなたの豊かな才能はいかなることがあっても失
われるべきじゃないのよ。私、あなたの絵が大好きよ。」
患者Gは、まるでメグの手の存在に気がつかないかのような無関心さで、おもむろに椅子から
立ち上がった。無表情の顔のまま、まるで生気を抜き取られた亡霊のごとく無言で病室を後に
した。メグの手は、誰に受け止められることなく、スッと何も無い空間に落ちた。

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by holly-short | 2006-12-04 23:59 | メグ シリーズ

絶望

b0090823_18575376.jpgAlex Kanevsky Artwork


 朝、目覚めると深い哀しみに沈んでしまっている。嫌な夢のせいかもしれない。特に寒い冬へ
と向かうこの季節が、メグは苦手だ。青白い夜明けの微かな光がブランドの隙間から漏れて
いる。まるで夕暮れ時みたいに薄暗く、寂しい。メグは思わず、温かい布団のなかでぐずぐず
と蹲る。きっと、生理前なんだわ、時として生理前は身も心も情緒不安定に陥ってしまう、ホル
モンのバランスが揺らいでるのに違いない、と。もう長年、毎月毎月約30年間もの間、これを
繰り返しているのにもかかわらず、いちいち感傷的になる自分自身が馬鹿馬鹿しくも惨めに思
える。そして、これまたお決まりの何処からともなくフツフツと沸き上がってくる自己嫌悪の感
情がメグを性懲りもなく落ち込ませる。一時の感傷であると解かっているにもかかわらず、まる
で一生この哀しみに囚われながら生きていかねばならないのだと、極端に途方に暮れてみ
る。きっと温もりが足りないせいだわ、とメグは思う。恋人がほしい。一体、私の恋人達はどこに
行ってしまったのかしら、、、、と。いや、猫でもいい。とりあえず抱き枕でも買ってくるか、など
と、とりとめも無く思いを巡らし、意味もなく目頭を濡らす。

目覚し時計のベルがけたたましく鳴る。メグは目覚めているので、即座に身体を起こしてそれ
を止める。熱いシャワーを頭から浴びる。ゼラニウムの香りが漂う植物性のシャンプーで丁寧に
髪を洗う。湯気の立ち上る身体のままバスローブを着て、プランターの植物たちに水をあげ
る。「おはよう、」と植物たちにそっけなく挨拶する。もちろん植物たちはなにも応えてくれない。
髪をドライヤーで乾かし、とろんとした冷たいローションを肌に叩き込む。ドゥ・ラ・メールでも
らった試供品のファンデーションを試すように指肌でのばし、きめ細かいパウダーをはたく。繊
細な感触とつけ心地、艶っぽくナチュラルな質感に購入を心に決める。下着ををつけ、ベー
ジュのニットにダークグレーのパンツを穿いて、白いマフラーをぐるぐると巻きつける。小さくも
大きくもない鞄に、携帯電話、スケジュール帳、万年筆、鍵の束、お財布、ミント、読みかけの
小説、化粧ポーチをドサドサといれて、ようやく外に出る。外は、肌寒くメグはお腹がすいてく
る。近くのドーナッツ屋でコーヒーと焼きたてのベーグルを買う。車を走らせながら器用にクリ
ームチーズをベーグルに塗りつつ齧る、合間合間に熱いコーヒーを啜る。病院に着く頃にはベ
ーグルは食べ終え、メグは鞄を肩に引っ掛けて、まだ温かいコーヒーを手に出社する。その頃
には、起きがけの絶望は忽然と姿を消している。まるで嘘みたいに絶望は身を潜め、メグは他
人の絶望に耳を傾ける。

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by holly-short | 2006-11-27 19:00 | メグ シリーズ

チョコレートの夢。

 メグは夢をみている。幼い頃の夢。夢の中でメグは豪華に飾り立てられた美しい舞台に立っ
ている。舞台は薄暗く、柔らかい光が双子の姉妹をまるく照らし出している。沢山の観客を目
の前に、双子の姉妹はバレーを踊っている。幼い身体ときつく纏められた髪にはデリケートな
羽根飾りが、細い腰周りには繊細なレースが重ねられた小さなチュチュが飾られている。小さ
く尖った四つのつま先はまるで纏足しているかのように硬くバニラ色のトウシューズで縛り上げ
られている。薄くピンク色に上気する頬、顔全体はきめ細やかな白いパウダーがはたかれてい
る。オーケストラの演奏は舞台の下の方から、浮かび上がるように全体を包み込む。観客席は
まるで夜の海みたいに暗く静寂に沈んでいる。しかしそこには大勢の着飾った紳士淑女たちが
息を潜め、双子の一糸乱れぬ美しい動きに心を奪われている。双子の姉妹、メグとミアは踊っ
ている最中、まるでどちらがどちらなのか自分でも見失ってしまう程に2人は調和している。ま
るで、上から紐でぶら下げられた操り人形みたいに、身体が2人の意思とは離れたところで勝
手に動いてるがごとくシンクロする。しかし次の瞬間、メグは2人の間に小さな亀裂が生じるの
を肌で感じ取る。まるで上から吊られた紐がプツリと切れたようにミアはバランスを崩し、爪先
立ちのまま後ろへと倒れ込んだ。メグはとっさにミアに手を伸ばす。しかし、そこにはミアはおら
ず、のっぺりとした白い人形がメグの手にぐったりとぶら下がった。それはとても重くて、メグは
大きな音と共に勢いよく床に転倒した。オーケストラはすでに鳴り止み、観客席は小さくざわめ
いた。メグは冷たい床に頬をべったりと付けたまま、あまりの恐怖に凍りついてしまう。一瞬、な
にも考えられない。観客は、ざわめき続けそれは徐々に全体へと波及して大きなうねりとなって
メグに押し寄せてくる。オーケストラはまるでそのざわめきを制するかのように再びメロディを
奏ではじめる。スポットライトは、倒れたメグと白いのっぺりとした人形に注がれ続ける。メグ
は覚悟を決め、どうにか立ち上がる。オーケストラの音楽に合わせてゆっくりと爪先立ちにス
テップを踏みはじめる。メグはもう幼くもなく、脂肪の充分についた成熟した身体に白いバレリ
ーナの衣装が痛々しい。しかし、メグは社会的責任から舞台に立つ限り踊り続けなければなら
ない。勿論さっきまでのように身体は軽やかには動く筈もなく、ぎこちなくドタバタと手足を不
器用に動かすばかりだ。そのうちオーケストラは、溶けるように乱れはじめ、黒く澱んでいた観
客席からは失笑のような笑い声や軽蔑するような野次が舞台へと投げつけられた。青白く照
らし出された観客の顔は白く不気味で、冷淡な視線で舐めるようにメグを凝視する。女性の
赤い唇は淫らに歪んで笑いを含んでいる。まるでロートレックの絵画にでてくる紳士淑女のよう
に淫猥さを露骨に含ませた観客たちを前に、メグは道化師と化す。しかもそれは、けしてプロ
フェッショナルなものではなく、ただの惨めな存在としての肉の塊だ。メグは踊る。すべての
力を振り絞り、脂肪を震わす。そのうちメグの脂肪はゆっくりとそして急速に増殖し始める。増
殖した脂肪はぶくぶくと膨れ上がり、美しく飾られた舞台を飲み込み、オーケストラを飲み込
み、そして逃げ狂う観客たちを飲み込んで、一気に劇場全体へと侵食する。メグはぶくぶくと
膨らんだ操縦不能の身体に埋まるようにしてぼんやりと佇んでいる。脂肪は冷えて徐々にチョコ
レートへと変化する。劇場の形をしたチョコレートはさぞ美しいだろうな、とメグは思う。
「ミア?」と、小さく呟き目には涙を浮かべる。

 メグは目覚める。とても気分が悪く嫌な感じの汗をたくさんかいている。胸焼けと倦怠感と得
体の知れない恐怖心が身体全体を侵食している。メグは重い身体を起こし、キッチンへと向
かう。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、冷たく澄んだその水を一気に飲む。シンクに
グラスを片付けると、見慣れない木箱が視界に入る。木箱の上には美しい外国語が小さくプリ
ントされている。金色の金具を開けて中を覗くと、そこは空っぽだ。メグはすべてを思い出し、
愕然とする。昨日、メグは友人宅で開かれた小さなパーティに参加した。友人宅がナパバレー
に所持するワイナリーで出来たばかりのワインのテースティングを兼ねて、メグの誕生日のお
祝いもしてくれたのだ。出来たてから年代物のワインの数々、様々な種類のチーズ、スペイン
製のパステラミ、メグたちは最高に美味しい夜を、楽しい会話とともに存分に満喫した。帰りに
友人は、食べきれなかったケーキを木箱入りのホールのままメグに持たせてくれた。ケーキと
いっても、Kマートで売られているような蛍光色ウィップクリームでデコレートされた派手な安物
のケーキではなく、ウィーンより空輸された木箱入りのザッハトルテだ。とても濃厚で甘く、重
たいチョコレートのタルト。メグは酔っ払ったままザッハトルテを抱えてタクシーで自宅に帰っ
て来たのだ。そして、多分、、、、、、、、、。記憶は定かでないが、ザッハトルテの濃厚なチョ
コレートの味は安易に思い出された。そしてなによりも、空っぽの木箱がすべてを物語っている
じゃないか、と。メグが頭を抱えていると、インターホンが鳴る。メグは茫然自失で相手を確認
もせずに扉を開けた。開かれた扉からは、小さな双子のバレリーナが現れた。双子は手を繋
ぎ声を揃えて、メグに言った。
「お誕生日おめでとう、メグ。」
そして、くるくると同時に回ってつま先立ちでポーズをとった。双子に続いて入ってきたのは、
メグ自身だった。若くもなく、大きな双子のお母さんとして十二分に相応しい40台の女性
だ。
「ミア。」
「おはようメグ。お誕生日おめでとう。」
ミアはメグを思いきり抱きしめる。
「ありがとう。あなたこそ、おめでとう。あなたの双子ちゃん達、見る度に大きくなるわ。まるで私
達みたい。」
「でしょ。バレーを習わせているのよ。2人をバレー教室に連れて行く前に一緒にケーキでお祝
いしようと思ってアップルパイを焼いてきたの。はい」と、言ってケーキの箱をメグに手渡した。
「ねえ、それと玄関の所に大きなブラウニーが落ちているんだけど、一体これ何?」
ミアはドアを開け、玄関に引きつめられたタイルの上に寂しげに放置された丸いザッハトルテを
指差した。ザッハトルテは2,3口大きく齧られ、そのままの丸い状態でボテッと玄関に落ちてい
た。メグは、大きく安堵し、それでも僅かに申し訳ない気持ちと共に重いザッハトルテをゴミ
箱に捨てた。紅茶と焼き立てのアップルパイで2組の双子でささやかな誕生日会を開いた。小
さな双子達は声を揃えて「私達、バレリーナになるの。」と言った。そして、けしてうまくも美しい
とも言い難い、まるで不揃いな可愛らしい踊りを、ミアとメグに披露してくれた。

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by holly-short | 2006-11-22 23:57 | メグ シリーズ

嘔吐

b0090823_0181640.jpgPetrina Hicks Artwork


お昼休み、メグは診察室におかれた体重計に意を決して恐る恐る身を乗せてみる。デジタル
体重計はメグが予想していたものよりも、8パウンドも重い値をためらいもなくはじき出す。
メグはしばし固まる。小気味よく響くノックの音に我に返り、素早く体重計から飛び下りた。
看護士のキャサリンは、ドアを開けてメグに呼びかける。
「あのお、Emilyがまた点滴を打ってくれって言うんです。」
「また出されたミールを食べないの?」
「ええ。全然手をつけなくて、昨日は少し食べたのですが、今日は全然食べようとしないんで
す。それに食べても、彼女はすぐにトイレに行きたがるんです。もちろん、トイレを我慢させるわ
けにはいきませんからとりあえず行かせるのですが、私の勘ではきっと、、、。」
メグは頷き、キャサリンと伴に診察室を後にする。思わず漏れた溜息をキャサリンに気づかれ
ぬようにゆっくりと飲みこむ。それは、もちろん患者Eからの呼び出しによるものではなく、自身
の予想外に増えた体重によるものからだ。心持ち、歩く身体が脂肪で重たいような気がしく
る。もしかしたら、デジタル体重計が壊れているのかもしれないじゃない、と思ってみる。けし
て壊れていないことは明白なのにもかかわらず、、、、。
「もう条件反射的に吐いてしまうのかもしれないわ。パブロフの犬が無意識に涎を垂らすよう
に。心理的にも肉体的にも嘔吐がすっかり身についてしまっているのね。厄介だわ。」
キャサリンは頷き、メグにカルテを手渡す。メグはカルテをざっと眺める。体重75パウンド!!こ
んな数字、有り得ない、とメグは思う。              (※1lb(1pound)=0.454㎏)

カルテ:患者E。年齢14歳女性。拒食症。

メグは白い清潔なシーツのひかれたベッドにウォークマンを聞きながら横たわる患者Eの小さ
な肩に優しく触れた。ベッドに備え付けられた簡易性のテーブルには、手のつけられていない
冷えた給食が無造作に放置されている。患者Eは、イヤホンを外してメグを見つめる。患者E
は、とても美しく整った顔立ちをしている。あまりにも痩せているので、小さな顔がくっきりと際
立ち、まるでお人形そのものだ。長い睫に周囲を囲まれた青い大きな瞳は、パチリパチリと音
をたてるかのごとく、閉じたり開いたりする。
「Emily大丈夫?」
メグは患者Eを覗き込む。
「先生、点滴を打ってほしいの。なんだか私、ちょっとフラフラして具合が悪いの。」
「点滴の前に、ちゃんと食べ物を食べる努力をしなくてはいけないわ。あなたの食事はこれで
も随分減らしてあるのよ。この間だって、ちゃんと食べるって、約束したでしょう。」
「でも先生、私何も食べたくないの。無理なのよ。それで出来たら点滴で栄養を取ろうかなっ
て思うんだけど、、、もちろん先生さえ良ければ、、、、。」
「解かっているとは思うけど、点滴はあくまで医療行為なのよ。緊急時に補足として一時的に
使うだけなの。ちゃんと口から食物を食べて、栄養を摂取しなくては、いつまでたっても健康
状態は改善されないのよ。」
患者Eは黙りこんでしまう。それからしばし間をおいて、うなだれるようにメグを見つめる。ぶら
下がる右手の中指と人差し指で支えられたメグのペンは、患者Eの視界の外側でゆらゆらと
小さく揺れ続ける。
「でも、私とっても元気だもの。それに食べたり飲み込んだりする行為って、好きじゃないの。
なんだかとっても卑しい感じがして、絶えられないって言うか、、、それにこれ以上体重を増や
したくないの。私はバレリーナなのよ。プロのバレリーナを目指しているの。これ以上太った
ら、見栄えが悪いわ。」
「言っておくけど、あなたは、全然太っていないわ。実際、体重だって適性値よりもかなり下
回っているじゃない。それこそ危険なくらいよ。生理だってずっと止まってしまっているのは、体
内の脂肪分が足りていないからなのよ。今の体力では、バレー以前に普通に生活すること
だって困難でしょう?それこそバレリーナとして活躍する為にも、なによりも一番大切なのは健
康と体力なのよ。」
「先生は何も解かっていないのよ。太ったバレリーナに未来はないのよ。」
患者Eはきっぱりと真っ直ぐにメグを見据えて言う。
「ねえ、お願いだから真剣に聞いて頂戴。あなたが思っている以上に拒食症は甘くないのよ。
長期間、嘔吐を繰り返すと体内のカリウムが高まりすぎて心臓を急停止させてしまう可能性
だってあるの。自分自身で変わる努力が出来ないのなら、前にも言った通り、私はあなたを拘
束しなくちゃならないわ。食後の数時間、身動きがとれないように寝たままの状態で手足を拘
束するのよ。もし、この病院が合わないのであれば、ご家族に相談して他の病院に移ること
だって出来るのよ。もっと拒食症を専門に取り扱っている病院に行った方が良い治療が受けら
れる場合だってあるわ。もっとも、どこに行ったとしても、ちゃんと自分自身の病気と向かい合わ
なくては、どんな病気も治らないのよ。」
メグは、患者Eの目を見て厳しく言った。患者Eはメグを睨みつけるように見据え、そのうち
真っ青な太陽の様な瞳から大粒の涙を流した。
「でも、もしトイレに行きたくなったら、どうしたらいいの?」
「申し訳ないけど、拘束中はオムツをしてもらうことになるわ。」
「そんなの嫌だわ。」
「じゃあ、もう少し努力してみて。出されたものを少しでも食べて、食べたものは吐こうと思わ
ないで。あなたの場合、少しずつ身体で覚えていくしか方法はないのよ。」
患者Eは長い沈黙の後、ゆっくりと目の前にある給食に手をつけた。まるでロボットのように何
の感情もなくただただスプーンを機械的に口に運んだ。そして永遠とも思えるかのような長い
時間をかけて、出された給食をどうにか食べ終えた。

メグは診察室に戻ると、神妙な面持ちで再びデジタル体重計に身体をゆっくりと乗せてみ
る。「、、、、、、、、。」メグはしばし固って、それでも変わらないその値に肩を落とす。秋だもの
致し方ないわ、と自分自身に言い聞かせる。ノックと共に再び看護士のキャサリンが入ってくる。
「先生、Emilyが食べたものを全部吐き出してしまいました。ベッドの上で、洗いざらい。」
メグは深く溜息をつく。世の中ってどうしてこうもうまくいかないのかしら、、、、、と。「とりあえ
ず、点滴を打ってあげて。ちょっと無理に食べさせ過ぎてしまったのかもしれないわ。又、夕食
の時間に様子をみて、どうするか考えるわ。」と、キャサリンに伝える。キャサリンは頷き、診察
室を出ていく。メグは、太ったバレリーナに未来はないのよ、というエミリーの言葉を思い出
す。かつて幼い頃、メグもバレーに熱中していた時代があった。プロのバレリーナになりたい
と、作文に書いたこともある。タイトルは多分「将来の夢」というものだった。そして、その夢は
いつしかまるで自分でも気がつかないくらいの無頓着さで忘れ去られたのだ。まるで嘔吐した
吐瀉物のように、身に付くこと無くどこかに置いてきてしまった。

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by holly-short | 2006-11-16 23:58 | メグ シリーズ

After Halloween

「先生、うちの息子、マスクを取ろうとしないんです。もう10日間以上もマスクをかぶったまま
で、、、、」
ミセスFは震える声で電話越しに話しかけた。メグは前回箇条書きしたカルテをとってくるよう
に看護士のキャサリンに身振り手振りで依頼する。キャサリンは黙って頷き、診察室から出てい
く。
「10月31日の日に、ハロウィンなので、お友達と一緒にお菓子をもらいにご近所をまわってき
たら?って提案してみました。家に引き篭もってばかりではよくないと思って、幼馴染のお友達
を呼んで、むかし息子が一度着て大切にとっておいた衣装を着るようにすすめてみたんです。
息子は素直に衣装に着替えて、お友達と一緒に家を出て行きました。私、心配でずっと彼らの
後を遠くから眺めていました。でも、私の心配を他所に息子はすごく楽しそうにして、“Trick
or Treat”と声をあげて、お菓子をたくさん貰ったりして生き生きとしていました。まるで昔に
戻ったみたいで、私すごく嬉しかったんです。きっと、この子はまだ子供なんだなって、勉強漬
けの生活が息子をオカシクしたんじゃないかって。」
メグは相槌をうつように頷き、受話器を肩にひっかけたままに手渡されたカルテにメモをとった。
「でも、それ以来、マスクをとろうとしないんです。家の中でも寝るときもシャワーを浴びる時も
ずっとマスクのままで、私が泣いて頼んでも、夫が怒鳴りつけても、断固はずしてくれなく
て、、、、、ごめんなさい、私ちょっと動揺しちゃって、、、」
ミセスFは泣くように鼻水をすする。電話の向こうで勢いよく鼻をかぐ。
「なにか理由があるのかしら?マスクを外せない理由が、、、」
メグは左耳のピアスを外して、尋ねる。
「マスクをかぶっていると電波が入り難いんだって、あれが侵食するのを防げると言っていまし
た。ハロウィン以来、息子はよく外出をするようになりました。もちろん外出すること自体は喜ば
しいことです。でもマスクをつけたままの格好でそこら中をうろうろするものですから、正直困っ
てしまって、、、、。ご近所の方が奇異な目で息子を見るだけならまだしも、先日は警察まで
呼ばれてしまいました。もちろん事情を話して連れて帰って来たのですが。夫も事態の深刻さ
を察して、無理やりマスクを剥がそうとするものだから、息子が激しく抵抗してマスクが破れ
てしまいました。でも、まだ裂けてボロボロになったそのマスクを被りつづけています。部屋に
引き篭もったままで、もごもごと何か喋り続けているのです。私が病院に行こうといくら言って
も、聞き入れてもらえません。」
「そうですか。」
メグはしばし考える。カルテをデスクに置き、ペンを指先でくるりと廻してみる。
「解かりました。精神科には強制入院のシステムがあるんです。ご本人の了解を得なくても、
親族のサインと指定医師の承諾さえあれば強制的に入院することが可能です。本来であれ
ば、ご本人の了解を得た上での入院が好ましいのですが、今回のようなケースでは致し方な
いのかもしれません。」
「でも、どうすればいいんでしょう?」
ミセスFは不安そうな声を漏らす。
「お迎えにあがりますわ。」
メグはきっぱりと言って受話器を下ろした。ピアスをはめ直し、カルテを手に院長室のドアを
ノックした。
「ドクターD、急なんですけど今すぐに強制入院させたい患者がいるんです。往診の許可を頂
けますか?」
ドクターDは、コクリと頷き、カルテを一瞥もせずにサインをした。
「ところでメグ、救急車を使うのかい?」
「いえ、相手は子供で、病院を拒んでいるんです。ちょうどソーシャルワーカーの方達も出払っ
てしまっていて使える車もないので、私の車でお迎えに行こうかなと。ほんのすぐ近くです
し、、、」
「そう。じゃあ、僕が一緒に行こう。」
ドクターDはそう言うと、贅沢な皮で出来た回転椅子をくるりと一回転させて立ち上がった。
メグは、ドクターDの車、ピカピカに磨かれた黒いハマーによじ登るように乗り込んだ。車高が
高く窓から見下ろす風景はいつもよりも下の方に佇んでいるかの様だ。メグはまるで戦地に向
かう兵士のような気分になり、微かな優越感がどこかから沸いてくるのを感じた。

ミスター&ミセスFの自宅は閑静な住宅街の一角にあった。

 ミセスFは泣き腫らした赤い目で弱弱しく微笑み、「ご迷惑をかけて申し訳ないわ。」という言
葉と供にメグとドクターDを広くゆったりとした応接室に通した。「おかまいなく、」というメグの
言葉も聞かないうちにミセスFはキッチンへと消え、次の瞬間にはヘレンドの美しいカップアン
ドソーサーに上品な香りが豊かに漂う紅茶を注いでくれた。
「うむ、なかなか旨い紅茶ですな。」
ドクターDは一瞬の遠慮も見せないままにズズズッと紅茶を一気に啜った。
「それが、さっき出社前に夫が無理やり部屋から連れ出そうとしたんですが、クローゼットの柱
にしがみついてしまって剥がれないんです。マスクを奪おうとしたら狂気したように怒り出し
て、頭を柱に何度もぶつけて、、、、」と、ミセスFは貴重面に折り畳まれた白いハンカチで涙を
拭った。ドクターDは、「ふむ、ふむ、」と相槌をうちながら、皿に並んだクッキーを頬張った。
そして、唐突に「いいアイディアがありますよ。」などと言って、路上に停められたハマーへと戻
り、大きなダンボール箱を抱えて戻ってきた。ダンボール箱の中にはハロウィンの日に病院で
使った仮装用の衣装やマスク、被り物、小物類などが無造作に詰め込められていた。
「これは、、、、」
ミセスFは言葉を失い、メグは戸惑うような視線をドクターDへ投げた。
「息子さんみたいな、強迫神経症状の強い患者さんには無理強いしても、無駄な体力を使わ
せるだけですからな。彼が病院に来やすいように工夫することが大事ですよ。一旦病院に入っ
て、きちんとした診断をして、薬を試してみなければ、なかなか病状というのは掴めないもの
ですからな。ほら、メグ、君はこれだ。」
「え?私もですか。」
「当たり前じゃないか、君が担当医だろう。それに僕1人きりじゃあ、寂しいじゃないか。」

ミセスFは、ドクターDとメグを患者Fの部屋まで案内してくれた。壁紙、床、調度品の数々、ど
こを見ても、瀟洒なその佇まいに、質の良さが見て取れた。廊下の天井からいくつもぶら下が
る小ぶりなシャンデリアが繊細な影を廊下に落としていた。ドクターDとメグの異常な形をし
た2つの影と重なりあうようにして。

「Trick or Treat!」

ドクターDは大きく声を張りあげて患者Fの部屋へと躊躇なく突き進んだ。
「おい、マスクを持ってきたぞ。一緒にちょっと散歩に行こう。」
ドクターDはベッドの上でシーツにくるまった状態でうずくまる患者Fにマスクを投げて渡した。
患者Fは柔らかいマスクの当たった感触に一瞬ビクッと身体を強張らせ、それでも素早くマス
クを手にして、掻き毟った栗色の頭にすっぽりとそれを被った。そして、ゆっくりと顔をあげてド
クターDとメグをまじまじと見つめた。


b0090823_14123972.jpgDave's Artwork


ドクターDは、シーツを手早く剥ぎ取り、間髪入れずに患者Fの手にプラスチックで出来た小さ
なカボチャの形をしたバケツを持たせた。
「おい、ボーとするな。いくぞ。」
ドクターDは強い口調で言った。患者Fも素直にドクターDの後に続いた。ミセスFはきょとんとし
てマスクを被った3人を眺めていた。3人は閑静な住宅街をテクテクと何事もなかったかのよ
うに歩いて、まるで吸い込まれるように黒いハマーに乗り込んだ。

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by holly-short | 2006-11-11 14:00 | メグ シリーズ

ユニコーン

「先生今回は、非常に難産でしたよ。」
「難産?」
メグは顔をしかめる。患者Bの顔をまじまじと見つめる。
「と、言いますと?」
「作品を生み出すのに非常に苦労したということです。いわゆる比喩です。」
「ああ。あなたの小説ね。」
患者Bは頷く。胸のポケットの中から小さく折りたたまれた白いわら半紙を大切そうに取り出
し、メグのデスクに慎重に置く。白いわら半紙は、なにか複雑な四足の動物のような形をして
いる。紙の裏には筆圧の強い彼独特の小さな文字がびっしりと書き尽くされ、それらは紙の表
面に凸凹と面白いニュアンスを与えている。
「これは何かしら?」
「ユニコーンです。」
「ユニコーン?」
患者Bは頷く。
「とっても上手だわ。」
メグは感心したように言う。紙で出来たユニコーンをそっと手に取り、あらゆる角度からそれを
眺める。
「先生、気をつけてください。とてもデリケートなんです。」
「そうね。ごめんなさい。これは誰に教わったのかしら?」
メグは慎重にユニコーンをデスクに戻す。
「ミスター田中に教わりました。彼は、ボランティアで折り紙を教えに来てくれている日本人で
す。僕は、はじめ全然興味がなかったけど。紙が好きだし、やっているうちに折り紙の世界に引
き込まれてしまいました。それに僕の作品も折り紙で折りたたまれる事によってより美しく、完
成度が高くなるような気がします。これ、糊もハサミも一切使わないのです。広げればまた一
枚の元の紙に元通り。なんて、すばらしいんだろう。」
「まったく。とてもよく出来てるわ。手先を動かして細かい作業をすることは、脳の刺激にもなる
し、とても良いことだわ。ただし、あまり根を詰め過ぎないように注意してくださいね。」
「じゃあ先生、これからまたミスター田中にアルマジロを教わる約束をしているので、、、、。
また次の時に僕の作品の感想を聞かせてください。今回は自信作なんです。」と言い、人差し
指で意味ありげにメグを何度も指差して、患者Bは診察室を元気よく飛び出していった。
「随分、はりきってますねえ。」
看護士のキャサリンは言う。
「そうね。ちょっと躁の傾向が見受けられるわね。夜、きちんと寝ているかどうか、当直の看護
士に注意するように言っておいてね。安定剤も少し多めにこのまま処方しておくわ。」
キャサリンは頷く。
「でも先生、これ本当によく出来てるわ。本当にハサミや糊を使っていなのかしら?」
キャサリンは、まじまじとユニコーンを眺める。メグも感心したように頷く。
「でもこれじゃあ、一体全体どうやって彼の小説を読めっていうのかしら?」
メグは、ペンでユニコーンを突つく。紙で出来たユニコーンは簡単にバランスを崩して、ゆっく
りと床に落ちていく。
「いいじゃないですか。どっちにしたって読解不可能なんだし、、、」
キャサリンはカラリと言って、ユニコーンをメグの掌に載せた。
「それも、そうね。折り紙はセキュリティの役割も果たしてくれるってわけね。でもこれ、本当に
小さくて可愛らしいわ。」
「私もミスター田中に折り紙、教わって来ていいですか。実は彼、こういうの大好きなんです。日
本アニメのファンで、小さなフィギアなんかも集めていて、、、きっとあげたらすごく喜ぶわ。忍
者とアルマジロを対決させたりなんかしちゃったりしちゃって、、、、」
メグが「どうぞ、どうぞ、」と両手をあげてみせると、キャサリンは鞄を手にそそくさと診察室を出
て行ってしまう。

 メグは鍵付きの棚を開ける。一番上の小さなスペースには、分厚いビニール袋に包まれた患
者Bの小説が大切に仕舞われている。メグはしばし考えた末、中央の棚に詰め込められた書
類をすべて処分し、そこに装飾が美しい高級チョコレートの空箱を置いた。メグは、微かに
チョコレートの香り漂う箱の中に、そっとユニコーンを放した。

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by holly-short | 2006-10-24 21:34 | メグ シリーズ

MASK.

「先生、息子はいつも何かに脅えているんです。誰もいないのに、まるで誰かに話しかけている
みたいに、、、ブツブツと独り言ばかり言って、、、、」
ミセスFは、皺ひとつ無くアイロン掛けされ几帳面に折りたたまれたハンカチで涙を拭う。ミスタ
ーFは、ミセスFをかばうように背中をさすり、震える彼女の細い手を握り締める。メグは、看護
士のキャサリンにコーヒーを煎れてくるように目配せする。
「私が言うのもなんなのですが、ウチの息子はすごく、飛び抜けて優秀なんです。まだ15歳な
のですが、飛び級してもうすでに大学に通っています。数学を専攻していて、大学の寮に入っ
ているのですが先日研究室の教授から息子の様子が少しおかしいと連絡があって、、、、。独
り言が通常の枠を越えているって言うんです。被害妄想も強くて、いつも何かに脅えていて部
屋に閉じ籠ったきり出て来ないから迎えに来てくれと連絡をもらったんです。」
メグはゆっくりと頷き、カルテにメモをする。
「それで、今はご自宅に戻られたわけですね。」
ミセスFは頷く。ミスターFは何も言わず、疑心暗鬼の表情で眉間に深い皺を寄せている。
「ご自宅ではどんな様子ですか?」
「自室に引き籠りっぱなしです。そして誰かにブツブツと話しかけているんです。私が、誰に話
しかけているの?と聞くと、息子はそこにいる地球外生物にだって、、、、、言うんです。それが
僕に電波を送るんだって、、、、。それが僕の頭の中を独占しようとしてるって、、、、。僕はそ
れと戦わなくちゃいけないって、頭を抱えて込んでしまって、、、もう私、どうしたらいいのか解
らなくて、、、、。」
ミセスFは止まらない涙を何度も何度もハンカチで拭った。
「病院へ、連れてくることは可能ですか?」
「先日、もっとこう、簡単なクリニックに息子を連れて行ったんです。無理矢理車に乗せて。多
分、きっと勉強のし過ぎで疲れたんじゃないかと思うんです。なにか精神安定剤でも貰って少
し休めば治るんじゃないかと思って、、、、でもお薬を飲んでも何の変化も無かったんです。主
人が無理矢理薬を飲ませたものですから、余計頑なになってしまって、私達にすら心を閉ざす
ように、、、。今日も主人が無理矢理引きずって連れて来ようとしたんですが、階段の柵にしが
みついてしまって離れないんです。」
ミセスFのグリーンに輝く目の周りを溶けたマスカラが黒く縁取る。黒い涙が幾重にも頬をつた
う。看護士のキャサリンは香ばしいコーヒーの香りとともに、何食わぬ顔で診察室に戻ってくる。
メグは、2人にコーヒーをすすめるが、2人はそれを眺めるばかりで、口をつけない。
「うちの息子は、あれは、精神病なんですかね?」
今まで黙っていた、ミスターFは唐突に沈黙を破る。
「それは、お話を聞いただけでは解りません。勿論、その可能性はゼロではありません。でも、
病気といっても様々ですし、ここに来たからといって、病名がすぐに特定出来るとも限りません。
投薬をしながら様子を看てみなければ何とも言えない場合が多いのです。」
「それでは、病院の意味がないじゃないか。こちらとしても治療をする以上、きちんと責任を
持って直してくれなくては困るんだ。」
ミスターFは、威圧的にメグに怒鳴りつける。ミセスFは、ミスターFの小刻みに震える大きな手
を更に震える白い手で、押さえつけるように握りしめる。メグは動じず、ミスターFを見つめる。
「精神病の場合は、病名の特定は難しいんです。症状も患者さんよって、ケースバイケースで
す。すぐに完治する場合もあればあれば、長い時間をかけて徐々に治っていく場合もありま
す。とにかく、病院に連れて来ていただかないことには、こちらとしても何とも申し上げることは
出来ないのです。」
「息子のことは無理にでも病院に連れてきます。あの妄想を直さないことには、まったくもってど
うにもならん。いくらこっちがお前のそれは幻覚だって言ってやっても、あいつは全く聞き入れよ
うとしないんだ。以前はあんなことはなかったのに。あれは、本当に優秀な男なんだ。」
ミスターFは強い調子で言う。
「あなた、手荒にはしないで下さい。息子がこんな風になってから、私達も本当にまいってし
まって、、、息子と主人の仲もとても険悪で、、、、息子も脅えて部屋から出て来ようとしないん
です。」
「そんな風に、頭ごなしに息子さんを非難してはよくありませんわ。息子さんが病気かどうかの
判断はつきかねますが、出来れば息子さんの意志で病院に来て頂くのがベストです。例え
ば、息子さんが困っている症状に焦点を合わせてあげてください。つまり、「そのイライラを落ち
着けるために病院へ行こう」とか、「不眠に効く薬がないかどうか聞いてみよう」とか、少しでも
本人が現状を改善する為に、病院へ行くという意識を持ちやすいように説得できればいいので
すが、、、、」
メグは言う。ミセスFはうなだれるように頷く。
「うちの身内には、頭のおかしな奴などいないんだ。」
ミスターFは、眉間に更なる深い皺を加えて吐き捨てるように言う。
「息子さんの場合、落ち着いて様子を看る為にも一旦強制入院が必要になるかもしれませ
ん。」
メグが入院の可能性を示唆すると、ミセスFは入院施設を一度この目で見ておきたいと、希望
した。メグは2人を病棟に案内した。メグは出来るだけ息子さんと同じ年代の若い男の子が集
まる病室に連れて行く。
「ここでは、若い患者さん達も、、、」と、言いかけた所で、メグは自分の目を疑い、言葉を失っ
た。何故なら、そこには鼻がピノキオみたいに突き出た顔の無い赤いお面を被った男や、バット
マンみたいな黒い耳を頭に尖らせた男が患者と楽しそうに話していたからだ。

b0090823_21272119.jpg














「あなた達、一体、、、」
メグはミスターFに負けない位の深い皺を眉間に寄せた。ミスター&ミセスFも呆然とその場に
立ち尽くしている。そのうち、廊下から、いかにも安っぽい音質の音楽が聞こえてくる。
ジャンジャンジャーン、ジャ、ジャジャーン、ジャジャジャーン、、、ジャンジャンジャン
どこかで聞いたことのあるテーマソング、、、。スターウォーズの、、、、メグが思い出そうとした
その瞬間、扉の向こうから大きなマントと全身黒い衣装にに身を包んだ鎧兜の男が登場した。
そう!ダースベーダーのテーマソング。メグは思い出す。ダースベーダーは、映画の中でやる
ように機械的な呼吸音をその通気孔のような口からスー ハー スー ハー と吐いては吸う。子
供達は、羨望の眼差しで、ダースベーダーを見つめ、オー!!という小さな歓声と供に彼を迎える。
「ちょ、ちょっと、あなた達一体何をしているの?」
メグは困惑顔でコスプレ3人男を問いつめる。ダースベーダーはけして取らないはずの鎧兜
を、ヒョイっと簡単に取り外した。そこには見慣れた顔があった。
「ドクターD、、、一体ここで何をされてるんですか?」
メグは再び驚く、眉間に皺を寄せたままに、、、。
「やあ、メグ。今みんなでハロウィンパーティの衣装合わせをしていたんだ。誰が一番似合う
か、子供達に見てもらおうと思って、、、」と、舌を出してみせる。
子供達は皆大ハシャギだ。私達の驚く顔を見て、さらに新たな笑いが沸き起こっている。
「あの、こちら院長のドクターDです。」
メグはとりあえず、といった風にミスター&ミセスFに彼らを紹介する。バットマン風の男はよく
見るとドクターK。長い鼻のお面の下からは、ドクターPが恥ずかしそうに顔を出した。メグは呆
れ顔で彼らを見つめる。
「いや〜、その再来週のハロウィンパーティに向けて、皆気合が入っていましてね。患者さん
も、こういったイベントは楽しみにしているんですよ。入院しても寝てばかりでは退屈ですから
ね。ま、これも治療の一環と言いますか、、、」
ドクターKは、尖った黒い耳の脇を掻く。ミセスFは、思わず笑い出す。しかし、眉間に深い皺を
寄せたまま仁王立ちしたミスターFを見て、またしょんぼりと黙り込んでしまう。ミスターF
は、「おい、もう行くぞ、」とミセスFに声をかけ、病室を出て行ってしまう。ミセスFはその後に続
き、メグも足早に彼らの後を追った。途中白い被り物を頭からすっぽりと被り、オレンジを耳に2
つ取り付けた男とすれ違う。

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ミスターFは一瞬ギョッとし、「馬鹿馬鹿しい、」と捨て台詞を吐いて、そそくさと病院を出ていっ
てしまった。顔の見えないオレンジ男は「やあ、」とメグに挨拶する。ミセスFは、メグに謝る。
「そんな、こちらこそ申し訳ありません。いつもは、あんなことは無いんですけど、、、たまたま月
末に病院内でハロウィンパーティの予定があるものですから、、、、。長期入院の患者さんが退
屈しないように、色々なイベントを企画しているんです。とにかく息子さんを是非どうにか病院
に連れて来てみてください。さっき目にした異常な光景が私達の目に現実として映るように、
息子さんにとっては、無いはずの存在が現実のものとして見えてしまっているのかもしれませ
ん。それは本人にとっても、とても苦しいことです。頭ごなしに否定をせずに、説得出来ればい
いのですけど、、、」
ミセスFは頷く。

 メグは誰もいない診察室に戻る。手のつけられていない冷えたコーヒーを飲みながら、カル
テを書く。地球外生物との対話。電波系?、、、、郵便物の上に茶色いランチバックに包まれた
メグ宛の小包が置かれている。ランチバックには、ペンで大きく「院長命令。マスクを被って至
急303号室へ集合せよ!」と書かれている。メグは紙包みを開け、中味を取り出す。ゴム性の
不気味な黒いマスク。強いゴムの匂い。2つ大きな穴が吸い込むようにメグを見つめる。

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vonn sumner Artwork
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by holly-short | 2006-10-18 21:34 | メグ シリーズ

小さな人間たち


2ヶ月前の夏。

患者Eは退院を目の前に希望に満ち溢れていた。
「もうすぐ、娘の家が建つんです。以前から、娘はいずれ家を建てることが出来たなら、一緒に
住もうって言ってくれていたのです。だから別れた夫の慰謝料と私の年金を工面しました。少
しでも助けになりたくて。病気も早く直したいんです。」
「よかったわね。はやく病気を治しましょう。薬をきちんと飲んでいれば、あなたなら大丈夫よ。」
メグは言う。
「はい。孫たちもすっかり私になついていてグランマと一緒に暮らしたいっていつも言ってくれるのよ。」
「そう、よかったわね。あなたはラッキーね。」
メグは微笑む。
「そう。私はとてもラッキーだわ。たぶん幸運の星の元に生まれたのね。神様のお陰だわ。」
患者Eは、大きな胸に乗るようにぶら下がったクロスのペンダントをしっかりと握りしめる。大き
く握られた手で小さく十字をきる。
「試しに少しずつ娘さんのお宅に外泊されたらどうかしら。長い入院生活ですもの。無理せず、
徐々に新しい生活に慣らしていく方がいいと思うわ。」
患者Eは頷く。
「許可は私が出しますからいつでも看護士かソーシャルワーカーに申し出てください。」と付け
加え、メグはカルテにその旨を記載する。57歳、女性、統合失調、軽度の妄想癖、長い長い
小さな人間たちに関する妄想リストの下の下の方に「外泊許可」と記載し、サインをする。

1ヶ月前。

「先生、酷いんです。」
患者Eは顔を歪める。
「どうしたんですか?」
メグは椅子に軽くもたれるように腰掛け、冷静な調子で聞く。
「娘が、、、ようやく家が建ったのに一緒に暮らせない。と言い出したんです。孫たちだって、私
と一緒に暮らすのを楽しみにしていたのに、、、、。薬だってちゃんと毎日飲んでるし、病状だっ
てとってもいいんです。それなのに、それなのに、、、、やっぱり私とは、一緒に暮らせないっ
て。たまに外泊に来るだけにしてくれって、言うんです。」
メグは、患者Eを見つめたまま、相槌を打つようにゆっくりと頷く。
「頭金だって、私が払ったんです。なのに一緒に暮らせないなんて、何故かしら?理由を尋ね
ても言ってくれないんです。私たちには私たちの生活があるからやっぱり一緒に暮らすのは無
理だって、、そんな風に、、、。私だってその一部なのに、、、、。私に悪い部分があるなら直す
からって、努力するからって言っても聞き入れてもらえないんです。」
患者Eは大きな目に大粒の涙を溜め、顔を曇らせる。ポケットの中から皺くちゃに丸められたハ
ンカチをとりだし、鼻をかみ、涙を拭う。
「そうですか。それはとっても残念だわ。でも外泊は出来るのだから今まで通りお薬は飲んで、
病気を直すように努めましょう。なにはともあれ、健康でなくては何もはじりまらないわ。出来る
事からやらなくちゃ。とにかく生活を改善していかなくてはいけないのよ。私たちは、あなたが
ここにいる限りいつだって相談にのるわ。」
患者Eは大きく頷き、何度でも鼻をすすり、ハンカチで鼻をかむ。肉付きのよい丸い肩をヒック
ヒックと上下させ、大きな胸を膨らませ、湿った息を何度でも吐く。
「でも、治ったからって、何だっていうののかしら?」
患者Eは涙声でクロスのペンダントを濡れた手で祈るように握りしめる。

10月のある日。

「先生、私もうここに一生住むって決めました。」
患者Eはきっぱりとした調子で言う。
「でもここは病院ですよ。ちゃんと病気を治して退院しなくちゃいけないわ。」
メグは言う。
「でも私には帰る場所なんてありませんもの。娘の家にはもう行くのを辞めました。」
患者Eは、大きく目を見開き、しっかりとした調子で言う。
「でも、たまには外泊をして、お孫さんにお会いになる分には、何の問題もないんじゃないかし
ら。気晴らしにもなるし、病院に引き籠ってばかりじゃ返ってよくないわ。」
メグはボールペンをカルテの上でゆらゆらと揺らす。下唇を軽く噛みしめる。
患者Eはさらに大きく目を見開く。ふくよかな手を大きな胸にあてる。
「でも、私あの家が怖いんです。あの家はおかしいわ。」と深刻な調子で言い、両手で口を覆う
ように輪っかを作る。
「実はね、この間外泊した時、私しっかりこの目で見ましたの。子供部屋で小さな人間たちが
ウジャウジャと行列をなして歩いているところを。孫たちに「ほら、あそこに小さな人間たちが
いっぱい遊んでいるわよ。あなたたちも好き勝手に歩きまわったら、彼らを潰してしまうわ
よ。」って言いましたわ。だって、小さな人間たちが笑ったり、喋ったり、やりたい放題なんです
もの。玩具をそこら中に散らかして、邪悪な顔で私に笑いかけるんです。なのに私の娘ったら、
私の孫たちを頭ごなしに叱るんです。玩具を片付けろって。あれは、彼らの仕業なの
に、、、、、、可哀相ったらないわ。私見ていられないの。そして、彼らが気味の悪い歌を歌うも
んだから、私気味が悪くて、、、、」
患者Eは、首を何度も横に振り、可哀相可哀相、おかしいおかしい、不気味不気味と何度でも
繰り返す。メグは、唇を強く噛みしめる。
「最近、薬をきちんと飲んでいないでしょう。看護士から報告がありましたよ。ベットの下からた
くさんの薬が出てきたって、全部あなたの薬です。ちゃんと薬を飲まなくちゃ治るものも治らないわ。」
患者Eは唇を尖らせてメグを睨みつける。
「だって、私は病気じゃないもの。なんで薬を飲まなくちゃいけないの。たぶん小さな人間たち
が薬を運んでいったに違いないわ。私に必要じゃないから、彼らが隠したんだわ。」
患者Eは、メグを睨みつけたまま、もごもごと語り続ける。声にならない声、意味不明の言葉。
いつまでも喋り続けて、メグにツバを吐きかける。患者Eは看護士につれられて病室に戻
る。彼女が去った後、メグはいつものように一人、病室に残される。カルテを書く。小さな人間
たちについての記述。メグは振り向く、もちろんそこには小さな人間たちなどいないのだけど。

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Edward del Rosario Artwork
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by holly-short | 2006-10-12 02:43 | メグ シリーズ