MONACO

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そこは薄暗くて、空気が澄んでいて、心地よい音楽が漂うような感じで流れていた。
小さな話し声やグラスやカトラリーの重なり合う音がまるでその空間の一部みたいに
沸いては、たたずみ、沈められていく。私たちは、「モナコ」というバーで待ち合わせた。

ひと頃、まだ私たちがこの空間にしっくり馴染んでいた頃、、、、、少なくとも私はそう
感じでいたと思う、、、、、よく立ち寄ったバーだ。平日の仕事帰りや、休日にディナー
を楽しんだ後に、吸い込まれるように引き寄せられた場所。存分にオシャレをして、
またはスーツに身を包み、私達は美味しいお酒を飲み、スペインの生ハムやフラン
ス産のチーズなんかを摘みながら、とりとめもなく話し、心地よく酔った。それは、
まるで街と一体化するような錯覚を引き起こさせた。

今日の私は、まるでこの空間とはチグハグな気がしてならない。パンツもアンサンブ
ルのニットもシンプルなことだけが取得みたいな代物だし、ブローする時間の無かっ
た髪はひとつにまとめてクリップでとめてあるだけ、腕時計もアクセサリーも時を経て
くすんでいるように思える。左手の薬指に収まるエンゲージリングもよくみると小さな
傷がたくさん刻まれている。結婚したばかりの頃は、家事や入浴のたびにいちいち取
り外していた指輪も、今ではもう外さなくなった。まるで夫が、もう指輪を身につけな
くなったみたいに。

約束の時間が来ても芳(カオル)は来ない。昔から芳は、人を待たすのが得意なのだ。
私は、人を待つのは嫌いじゃない。考え事をするのに調度いい時間だ。しかし、今の
私には考えなくてはいけない懸案事項が山程あるような気がしてならない。
なにをまず考えれば良いのかも解らない程に、、、、、。それは昔みたいに自分自身
だけの為に向けられた贅沢なものではなく、もうすぐ2歳になる息子のことや、夫の
こと、仕事や、夫の両親との関係など、ひっくるめて猥雑とも思える物事についてだ。
私は自分の爪にマニキュアも塗られていない事実にびっくりした。爪は短く切り揃え
られ、簡素な様子で指先に並んでいる。爪のまわりの皮膚がささくれている。ネイル
サロンに最後に行ったのはいつだろう?、、、、と考え、今すぐにも、バーを飛び出し、
デパートの化粧品売り場に行ってマニキュアを購入したい、という衝動に駆られた。

「おまたせ、英子。」
芳は、少し息を切らせ、夜の冷たい空気に包まれるがままに店内に入ってきた。バー
カウンターの私の隣のストゥールに腰掛けて、バーテンに生ビールを注文した。
「ごめんね、ミーティングが長引いちゃって、、、、、来月から取材でキューバに行くの
よ。今はその準備で大忙しなの。」
と肩をすくめる。
ぴったりと身体にフィットしたベージュのワンピースは、複雑なカッティングが施され
ている。ウッドピースや大きめのビーズが数珠みたいな繋がった長いネックレスが
とてもよく似合っている。薄茶色の鞣革のヒールはルブタンか、ミュウミュウのもの
だろう。もしかしたら私が聞いたこともないようなブランドのものかもしれない。芳
は、旅行雑誌の副編集長をしている。小さな編集社だが、クオリティの高い雑誌
をいくつか発行していて、ある特定の購買層を獲得している。生活をテーマに、
旅行、料理、ライフスタイルなど、、、、、どれも洗練され、個性的でありながら、
実用的でもありそうに思える情景。そこには、手が届きそうで、届かない世界が広
がっている。

「ルカ君は、元気?」
ルカはもうすぐ2歳になる私の息子だ。
「元気よ、この間は大熱を出して大変だったけど、男の子には多いみたい。でも、
とても元気、元気すぎるぐらい。キューバにはなにしにいくの?羨ましいわ。仕事で
キューバなんて、」
芳は冷たいビールを美味しそうに飲んで、ゴルゴンゾーラのピッツァを注文した。
「そうねえ、でもお仕事だもん、大変よお。うまくいかないことばかり、言葉は通じ
ないし、日本みたいにきっちりしてないから、苦労してアポ取っても、あってないよ
うなものだったり、調整、調整の連続で、てんてこまい。それでも、色々な分野の素
敵な人たちと出会えるのは楽しいわね。今回は、キューバの音楽とか、ダンスとか
がテーマなんだけど、私全然そっち方面に知識がないから、朝から晩までサルサを
かけて気分を盛り上げてる。信じられる?」
芳はジャズ専門なのだ。
言われてみれば、芳の装いにはどこか南米のムードを感じさせる。
知的なラテン女のように、清潔で、無駄が無く、肉感的だ。

私たちは焼きたてのピッツァを頬張り、カラマーリのフリッターと自家製のピクルスを
つまみながら、昔みたいに話し合い、酔っ払った。それでも、私はけして昔みたいに、
この雰囲気に、溶け込んだりはしない。ふと、した瞬間に、ルカはちゃんと寝ているだ
ろうか、ぐずって義祖母を困らせていないか、突然、前みたいにひきつけを起こした
りはしないだろうか、などという根拠の無い不安が押し寄せる。私は、その度にマナー
モードにセットしてポケットに入れてある携帯電話に手を当てて、握り締めなければい
けない。お手洗いに立ったついでに、自宅に電話してみると穏やかな様子で、夫が出
た。
「おー、楽しんでる?」
「うん、ごめんね。ルカは、大丈夫?義お母さん大変じゃないかしら?」
「全然、もう二人とも寝てるよ。井の頭公園に行って、動物園に行ったって言ってたけ
ど、あそこに動物園なんて、あったけ?二人とも疲れて、もう早いうちからお風呂に入っ
て寝てしまった。」
「そう、よかった。確か、小さな動物園があった気がする。不確かだけど、、、」
「友達と飲んでるんだろ?ゆっくりしてこいよ。こっちは、俺も帰って来てるし、のんびり
やっているから、」
と、言って電話を切った。野球中継の音が聞こえた。きっとビールを飲みながら野球
観戦でもしているのだろう。バーカウンターに戻ると、芳も携帯電話で誰かと話してい
た。にこやかに笑って楽しそうに、、、、、、「じゃあ、」と朗らかに言って電話を切った。
「ルカ君に電話してきた?」
と、芳は更に朗らかな調子で聞く。
「うん。ごめんね、なんかちょっと心配で、」
「そりゃそうよ。まだ2歳にもならない乳飲み子なんだから、気にすることないし、ここで
電話すればよかったのに。私だって、彼とお話ししたいわ。」
「もう、寝ちゃってた。アチラのお母さんと仲良く、、、、、、、。」
と私は肩をすくめてみせる。
「あら、強敵ね。でも、いい義お母さんじゃない、妊娠中は一々電話してきて、
仕事を辞めろだの、ヒールを履くなだの、なかなか手強い感じがしたけど、、、、、、」
「そうね、いい人よ。とっても、、、、、。でも、だからこそ色々なことが気になるみたい。
今でも私には仕事を辞めるように言うわ。家庭が疎かになるからって、子育てだって
立派な仕事ですって、ね。どこかで聞いたことがあるような台詞よね。」
「ふーん。そりゃあ、そうだろうけど。お母さんにべったりの子育てだって、ずっと永遠
につづくわけじゃないんだし、仕事を辞めるっていうのも逆に勇気がいるんじゃない。」
「うん、そうなんだけど、最近ちょっと自信がないのよね。仕事と育児と家事の両立
に、、、、、。仕事を辞めるって、チョイスも真剣に考えなくてはいけないのかなって、
思うのも現実。なんか、すべてが中途半端になってしまいそうで、、、」
「それでいいんじゃないの?中途半端で、、、、、やるべきことのパイが増えたんだし、
親としての責任がまずあるわけだから、今までみたいに仕事に全力投球できないの
は仕方ないし、今までとは違うのは当たり前よ。子育ての責任を背負っている以上、
その責任からは免れないし、周囲の理解だって必要だわ。ただ、やっぱり仕事にだ
って責任があるのも事実、今の状況でやりこなせない内容や、重い負担は、はじめ
から断ればいいのよ。断る勇気だって、必要だし、その為には仕事の内容だって、
今までどおりとは、いかないかもしれない。でも、辞めてしまったら、それでお終いよ、
ジ・エンド、、、、、」

芳の発言はいつも魅力的だし、説得力がある。だけど、私にはどこか理想論のよ
うな気がしてならない。まるで彼女の雑誌みたいに、、、、、、、。 現実はもっと複
雑だし、猥雑なことにまみれ、時としてとても冷淡で、私はどうにもならないような
気分になる。やるべき仕事を断念し帰宅を迫られる瞬間、泣き止まないルカを託
児所に預けなくてはいけない瞬間、必要とされる瞬間に不在であるという、その現
実に、私は打ちのめされる。

この間だって、熱を出し、私に連絡がつかないと、託児所から連絡を受けた義祖
母がルカを引き取り、その帰り道にひきつけを起こした。義祖母は、混乱し、涙な
がらに通りすがりの人に助けを求め、救急車を呼んでもらって、病院に運ばれた。
赤ちゃんを扱える病院はなかなか見つからず、救急車に乗った後も、いくつかの
病院をたらい回しにさせられたのだそうだ。小さな赤ちゃんが訳も解らず痙攣して
いる様子は、きっと義祖母を想像以上の恐怖に陥らせただろう。
私は会議中で、電話に出ることが出来なかった。
それから随分経って、留守番電話を聞いて病院に駆けつけた時には、ルカの痙攣は
すっかり治まり、スーツ姿の夫と、疲れ果てた義祖母が椅子に座り、点滴をうけるル
カの様子をぼんやりと眺めていた。私は、安堵し、ルカに駆け寄って、抱きしめたい
ような気分だったが、なんとなくそれは躊躇われた。
「芳には、解らない。」
私は自分の発した言葉にびっくりした。
本来であれば、飲み込むべき言葉が、私の口から唐突に漏れて出た。芳に謝るべ
きだと思いながらも、その言葉が出ない。
「そうよ、解らないわ。」
そんな私の後ろめたい気持ちを汲み取ってか、またはそれを気にする風もなく、芳
は軽やかに言う。
「私は結婚もしてないし、子供もいないもの。でも、私だって、同じような状況に陥
る可能性はあったし、これからだってあるかもしれない。未婚の母で子供を出産す
るかもしれない。その時にね、ルカ君の子育てを参考に出来ればって思うのよ。英
子が仕事も育児も素敵にこなす母親でいてくれたらなって、どうしても思ってしまう。
友人として、、、、、。確かに、現実は厳しいし、二束の草鞋は無理かもしれない。
それでも、ここまで、どうにかやってきたじゃない。これは私の我儘かもしれないけど、
後悔してほしくないのよ。どっちにしたって、、、、、ね。最終的に選択をするのは英
子自身よ。結局は、英子の人生なんだから、ルカ君の為でも、義お母さんの為でも
無くね。」
芳の言う通りかもしれない。
私は恐れている。
周囲からの非難や中傷を、最悪の事態を、まだ見ぬ将来への不安を、、、自分自
身が傷つくことを、、、、、、。

「そうそう、ルカ君にプレゼントがあるのよ。」
と芳は、大きな鞄の中からビニール袋を取り出した。
芳は、いつも大きな鞄を持ち歩いている。
なんでも入る素敵な鞄、そこにはいろいろな物が詰まっている。
雑誌、テープレコーダー、お香、ボディークリーム、食べかけのバケットやチーズ、水
着、世界地図、、、、、、、、、。
「ほら、子供用のTシャツ。チェ・ゲバラよ。キューバの革命家で、英雄なの。これ着て
チェ・ゲバラみたいな強い男になりなさいって、、、、いい男に、、、。それと、サルサ
ミュージックのCD。もうみんな取材に行く度にくれるのよ。「サルサは最高だ。」って
言葉と共にね。」
と笑い、チェ・ゲバラの顔が大きくプリントされた小さな薄水色のTシャツと、数枚の
派手なジャケットが目立つCDをくれた。

私たちは、また少しお酒を飲んで、「モナコ」を後にした。昔みたいに手をつないで、
教わったばかりだというサルサのステップを踏みながら、駅までの路を踊るように
歩いた。


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# by holly-short | 2006-05-10 00:38 | short story

アボガド

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幼い頃、アボガドはまだ高級な果物で、スーパーなんかには売っていなくて、
デパートの地下の食品売り場で、高級なフルーツと肩を並べてうやうやしく売られていた。
私は4歳か5歳で、それなりの善悪の区別はついたと思うけど、
それ以上に抑えのきかない衝動と好奇心を小さな身体に秘めていた。
マスクメロンや、カラフルで不思議な形をしたトロピカルフルーツの中で、
黒深緑色した小さな凹凸のある悪魔の卵みたいなアボカドが妙に気になり、
私の目は釘付けになった。
私は、なんでも手にとってみなければ、経験してみなければ、気がすまない質なのだった。
好奇心旺盛といえば聞こえがいいが、
幼い私には、反省が無かった。
それでも、ささやかな善悪の区別を身に付けていたので、
ちゃんと誰も見ていないことをきちんと確認してから、
好奇心に誘われるままに思わず手を伸ばしアボガドに触れた。
指肌で凹凸のあるアボガドの表面を撫で、その感触を味わう、
つるつると凹凸が入り混じったような、不思議な感触。
すこし指で押してみるとぐっと中に入り込んでいくような柔らかさ。
私の小さな指は、外側の薄い皮をいとも簡単に突き破り、
面白いようにアボガドの中に侵入した。
生温かく、つるつるとしたアボガドの果肉。
空いた穴の中から、鮮やかでクリーミーなキミドリ色をした果肉がのぞいて見える。
私はその場をそっと離れ、母親の元にもどった。
小さな穴が数個、無残にも空いたアボガドを残して、、、、、、、、、、。

「あら、ミカちゃん、どこいってたの?すぐにいなくなっちゃうんだから、」
母は穏やかな調子で言う。
きっと、私がお菓子かなにかに気をとられていたのだと思っているに違いない。
「フルーツパーラーに行きたい。」
私は、いつもみたいに言う。
母のお気に入りは、1Fにある紅茶専門店でケーキセットを食べることだが、
私はあの気取ったお店は好きじゃない。
私の唯一の希望は、フルーツパーラーに行くこと。

母はデパートに来ると、
いつもお決まりのコースを巡回する。まず婦人服売り場に行き、
お気に入りのブランドのブティックをながめる。
それらは大抵ながめるだけで、滅多に購入とまでは至らず、
それから私のお洋服を見に子供服売り場に行く。
私が「ほしい」と言うと母は私に試着させ、
大抵は買ってもらえる。
しかし、私はお洋服には、興味がない。
このベルベットで出来たいかにも少女らしいワンピースにも、
一針一針手縫いされたというフランス製の革靴にも、、、、、、。
母は、私を可愛らしく飾りたてお出かけするのが好き、ただそれだけのこと。
その後も、食器売り場、化粧品売り場など、いつもと同じルートを首尾よく巡回し、
最後に地下1Fの食品売り場に立ち寄る。
母は、外国産のチーズや、ジャム、ちょっと高いが品質はいいのだと
信じて疑わない野菜や魚介類などを物色する。

フルーツパーラーは、食品売り場の片隅にあった。
前面ガラス張りの小さな空間に、つるつるに磨かれた乳白色のカウンター、
真紅のクッションがついたスツールが10席ほど。
冷え冷えとしたガラス張りの棚の中には、
色とりどりの様々な形をした大小のフルーツが楽しそうに並んでいる。
私はこの小さな空間が気に入っている。
低く響くモーターの音も、神経質そうにフルーツを取り扱う年老いたマスターも。
マスターは、美しくプレスされた白いワイシャツに
絵に描いたみたいな黒い蝶ネクタイを結んでいる。
堅い表情は真剣そのもので、骨ばった手に、ぼってりと丸いグレープフルーツを
まるで家宝かなにかみたいに1つずつ手にとり、磨きあげていく。
「ミカちゃんは、何するの?お母さんは、そこの和菓子屋さんで贈り物を言付けてくるから、
先に注文して食べていてちょうだい。」
と言い、苺シェイクと、パパイアのバニラアイス添えを注文して、
そそくさとフルーツパーラーを出ていってしまう。
デパートでの母は、いつも忙しい。

 マスターは、ほどよく熟れたパパイアの実を両手で大切そうに取りだして、2つに切りわけた。
パパイアの鼻につく独特の香りが一瞬濃く漂う。
滑らかな断面は、鮮やかなダイダイ色で、果肉は瑞々しく濡れている。
蛙の卵みたいな、ゼラチン状の黒々と丸い種をスプーンで丁寧にすくい出し
空いた穴に、バニラアイスがワンスクープ。
カットレモンが添えられ、パパイアは礼儀正しく私の目の前に置かれる。
私はレモンは絞らず、スプーンの先端に巻きついたペーパーナプキンをはがして、
ねっとりと柔らかいパパイアの実を口に含んだ。
パパイアのトロピカルフルーツ然とした、嗅いだことのない甘い香りが一瞬鼻腔をかすめ、
すぐに消えた。

私は一口でパパイアが気に入った。

彼は、私の隣の母が座るべきスツールに腰掛けていた。
何食わぬ顔をして、当たり前のように、、、、、。
アルミ製のペーパーホルダーにささった写真つきのメニューを、
つやつやとしたキミドリ色の膜のある手で取り出し、真剣に眺めている。
私は、なんだか恐ろしくなり、とにかくもう一口という風にパパイアを口に運んだ。
パパイアの冷たく甘い果肉が口の中でゆっくりと、とろけ広がっていく。
私は恐る恐る彼を見上げる。
筋肉質で引き締まった身体、鮮やかな新緑色の皮膚は、
体毛などなく、つやつやとして、澄んだ清流のような清涼感を漂わせている。
「なに食べてんの?」
彼は突然、私の方に振り向いた。
大きな目、先の尖った口先、頭のてっぺんには、中央が窪んだ丸いお皿、
まるで私が毎晩愛用しているシャンプーハットみたいに、深緑色をした傘を広げている。
「おい?しゃべれないのか?俺は人間の言葉、得意なんだぜ、その黄色いの、うまそうだね。
一口くれよ。」
などと、馴れ馴れしい調子で、愛嬌よく笑い、いささか長めの腕を屈めるようにして、
私のパパイアを、ひょいと取りあげた。
「パパイア、、、、」
私の声はとても小さく、彼に届かなかったのかもしれない。
彼は、もう私などには構わず、パパイアを食べはじめた。
水掻きのある手で上手にスプーンを包み込み、一口一口味わうように、、、、、。
たまに目をつむり、吟味するように、顔面に小さく空いた2つの穴から深く息を吸う。
彼がパパイアを食べると、鮮やかな緑色をした皮膚が少し黄色みをおび、
体内にパパイアが染み渡る様子が見てとれる。
私は呆然と、みとれるように、その様子を眺めていた。
「ごめん、全部食べちゃった。とっても美味しかったから、、、、、、」
彼はすっかりパパイアを食べ終えてしまうと、
ぐったりと柔らかい皮ばかりのパパイアを見つめ、
申し訳なさそうに言った。
私は、気にしてない、という風にブンブンと首をふる。
彼は、「代わりに、これをあげる。」と言って、
腰の下の方にぶら下がった、小さな丸い籠の中にそっと手をいれた。
「マスター、」
中からは、アボガドが1つ。
小さな穴がいくつも空いた、傷付いたアボガド。
私は、なにか胸に軽い衝撃を感じた。
それは、ちょっとした罪悪感のようなものだ。
マスターは、彼を一瞥し、それでも普段通り礼儀正しく、彼の元にやってきた。
「マスター、これカットしてくれる?このお嬢さんに、」
まるで顔馴染みみたいにそう言って、アボガドをマスターに手渡した。
マスターは、小さな穴で傷付いたアボガドを一瞬、悲しそうに見つめ、
それでも大切そうにアボガドの実を手の中で転がした。
「君は、アボガド食べたことあるのかな?」
私が、またブンブンと首を振ると、
彼は満足そうに笑った。
「だろうね。だから、興味があったんだ。はじめての物は、まず手にとってみなくちゃね。
僕もアボガドは食べた事ないんだ。」
マスターは、皮がついたままのアボガドの腹に躊躇無くナイフを入れ、
手の中で2つに切り分けた。
鮮やかなグリーン、彼と同じ色をした果肉から、するりと皮を外し、
手の上で、食べ良い大きさに切り分ける。
空っぽになった黒深緑色をした皮の中に、
綺麗に盛り付けて、私の目の前に置いた。
「どうぞ、召し上がれ、」
彼は興味津々という風に、カウンターに肘をつき、大きな澄んだ目で、私を見つめる。
私は恐る恐る、常温に戻したバターみたいなアボガドの実を、口に運んだ。
まるで味がしない、味。
クリーミーな感触だけが、ねっとりと舌に残る。
私が怪訝そうな顔をすると、彼は笑って、「どらっ」と、
まるで自分の一部みたいな色をしたアボガドを素手で、
つまんで尖った口に放り込んだ。
「こりゃあー、不思議な味わいだなあ。」
などと言いながら、次々と食す。
私も、辞めるという訳にもいかず、黙々と無臭のような生臭いような、
濃厚な舌触りばかり残るアボガドの果肉を口にした。
まるで、キミドリ色の皮膚をした彼自身を食べているような錯覚に襲われ、
飲み込むことも、味わうことも躊躇われる。
それでも、2人ですっかりアボガドを食べた。
「何でも食べてみなくちゃ、体験してみてはじめて、そのものの本質が解るんだ。
しかし、アボガドっていうのは、あんまり旨くないねえ。
もっとも、違う食べ方があるのかもしれない。」
彼は、「喰った、喰った、」と腹をたたき、筋肉質な身体を大きく伸ばして背伸びを一回、
「じゃあ、」と言って
フルーツパーラーを出ていった。

「ミカちゃん、ごめんね。ちょっと時間がかかっちゃって、あら、もう食べたの?」

母が用事を済ませて戻って来た頃には、マスターはもうすでに私の、、、
、、、、、正確には私達の、、、、、食べ終えたお皿を片付けてしまっていた。
下準備を終え、待機していた苺シェイクの材料をミキサーにかけ、
タイミングよく母の前に置く。
母は、「ありがとう、」と言って、苺シェイクを一気に飲んだ。
母が勘定を終えて、フルーツパーラーを出ていってしまうと、
マスターは私を呼止め、大きな種を1つ大切そうに取り出した。
さっき食べたばかりの大きなアボガドの種。
「記念にね、」
マスターは、耳元で囁き、
私の手の中にそっとそれを置いた。
私は頷き、大きなつやつやとしたアボガドの種を思わず頬に当てた。
それは、大きな川みたいな、澄んだ水のようないい匂いを微かに漂わせていた。



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# by holly-short | 2006-05-05 14:19 | short story

WATERMARK JOSEPH BRODSKY

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旅行記を読むと旅に出たくなる。
しかし、それは賢明ではないだろう。

学生時代、休みのたびに旅に出かけた。
大きなバックパックを背負って、長期間、無計画に、さまざまな国へ、、、。
だから、私は知っているのだ。
旅の殆どは猥雑なものに満ち溢れ、思うようにいかず、
様々な種類の不安を味わい、異質なものには、なかなか馴染めない。
私はパッケージツアーで、旅行に行ったことがない。
それでも、懲りずに旅に出掛けたのはなぜだろう?
まだ見た事の無いもの、感じた事のない感覚を経験する為?
稀に、突如、偶然にも、前触れも無く、訪れる感動や喜びを期待して?  
、、、不明、、、
ひとつだけ言えるのは、旅は旅それぞれだということ。
旅に出てみなければ、解らない。

 ヨシフ・ブロツキーの「ヴェネツィア」は、詩人の旅の印象記だ。
ヴェネツィアの水と光を背景に、浮かび上がる印象、美しいアフォリズム、
私的な告白、自己探求などが、随所に散りばめられている。
それは、一見無秩序なようでいて、まるで音楽のように美しく絡みあう。
まるで、夜のオーケストラみたいに、、、、。

 「ヴェネツィア」は、詩としても、小説としても、旅行記としても、
至極の一冊だ。高級だけれども気取りが無く、まるで素材そのものといった、
シンプルさで描かれている。

 私は「ヴェネツィア」を読返すたびに、旅に出たくなる。
実際、ヴェネツィアには、何度も行った事がある。
私の旅はいつもあまりに、観光的で、トラブルと隣り合わせだ。
ホテルの予約がとれていなかったり、
美味しいのか不味いのか判然としないようなパスタを
度重なる停電の中で食べたり、
ゴンドラに乗ったはいいが、多額の料金をぼったくられたり、、
そんな感じだ。
詩的で幻想的な要素はほんの少ししかない。
、、、、、勿論、少しはある。

 私が「ヴェネツィア」に強く惹かれるのは、
その美しいヴェネツィアという場所から受ける印象だけではなく、
詩人ヨシフ・ブロツキーの創作の過程が、現場が、
その秘密が描かれているからだと思う。
ノーベル文学賞をも受賞している天才詩人のそのあまりの無邪気さに、
真っ直ぐさに、シンプルさに感動するのだ。

 ヴェネツィアは背景でしかない、
しかし、それは水彩画のように幻想的で美しい背景なのだ。

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# by holly-short | 2006-05-03 15:00 | book review